僕は心理カウンセラーでありながら、何の為に生きているのかを考えていた。
生きる意味を知ることで、
生きる意味がわからない「モヤモヤ感」を解消し、スッキリと納得して生きたかったからでしょう。
思春期の頃から考えていたので、おそらく20年以上は同じことを繰り返し考えていましたねf^^;
ところが最近になって、ふと急に、生きる意味の答えが出てきたのです。
今回はそのことについて書いてみます。
こんにちは。心理カウンセラーの大城ケンタです。よろしくお願いします。
目次
なぜ生きる意味を求めるのか?
私たちは、なぜこんなにも生きる意味を求めるのか?
おそらくその理由はこれでしょう。
生きる意味があると頑張れる。
・どんなに仕事が嫌でも、生活やお金の為に頑張れる。
・どんなに婚活が辛くても、結婚する為に頑張れる。
・どんなに夫婦関係が嫌でも、子供の為に頑張れる。
・どんなに親の介護が辛くても、親の為に頑張れる。
・どんなに勉強が辛くても、将来の自分の為に頑張れる。
人は意味の無いことをしたくない。
すべての行動には意味があるし、意味あるものにしたい。
どんなにダラダラ何もしていなくても、それが無駄な時間と思えても、嫌なことから現実逃避するという目的があったり。
あるいは、無駄と思える時間でも、休息やリラックスするといった目的があります。
でも、その行動に目的や意味を見出せない時、人は苦しくなる。
- 何の為に生きてるの?
- 何の為に仕事しているの?
- 何の為にこの人と一緒にいるの?
- 何の為に勉強を頑張っているの?
そうやって、自分の行動が意味あるものにしたい。
ところが、
「納得のいく答えが出ない!」
ということも、また事実。
- 生活する為に生きている。
- 人の役に立つ為に生きている。
- 人生を楽しむ為に生きている。
- 人に認められたいから生きる。
どれもそれっぽい理由ですが、どうも納得できない。
この記事を読んでいるあなたも、そう思っているかもしれませんね。
少なくとも、僕はそうでした。
そんな僕が生きる意味について、ようやく納得のいく答えを見つけることが出来たので、引き続き読み進めてください。
生きる意味がなくてもいい
ところで、なぜ花は咲くのだろうか?
なぜ花は成長するのだろうか?
おそらく、そこに意味はない。
花は勝手に成長する!!
日光と水と土という環境が整っていれば、勝手に成長する。
花は人間を喜ばせようとしていない。
花は「これが私の生きる意味だ」と人生の目的を持って、成長している訳ではない。
ただ勝手に成長しているのです。
<日光や水を浴びて、「あぁ~気持ちいいなぁ」と言いながら成長しているのです。
ん?花が「気持ちいいなぁ」とは言わないかf^^;>
これは人間も同じでしょう。
人間は勝手に成長する!
もちろん、衣食住という環境が整っているという大前提はあります。
赤ちゃんは子供になり、子供は大人に成長する。
どんなに過去に辛いトラウマ体験をしても、生きるのです。
親に怒られたり、否定されても、力強く生きるのです。
僕はカウンセリングで、そんな力強い人たちを何人も見てきました。
生きる意味があろうと、無かろうと、人間は勝手に成長する。
「日光を浴びて気持ちいなぁ。食事をして美味しいなぁ」と言いながら成長するのです。
でも、それだけじゃ満足できない。
そこに何かしらの意味を見出したい。
それが人間だ。
生きる意味は、既に与えられている
ところが、どんなに頑張って生きる意味を見つけようとしても、その答えは見つからない。
ここで役立つのが、トランスパーソナル心理学という心理学の分野があります。
直訳すると、個人を超えた心理学ということになります。
以下、トランスパーソナル心理学の内容を基に話を進めます。
人は何の為に生きているのか?
生きる意味は何か?
これって私たちが考えていることです。
ここで、ちょっと視点を変えてみてください。
世界があなたに「この人生では、これをしなさい」と期待していることがある、と仮定するのです。
あなたが生きる意味を探さなくても、(世界によって)既に生きる意味は与えられている。
ということです。
生きる意味と言ってもいいし、別の言葉で言うと
- 人生の目的
- 使命
- 役割
こういったことです。
既に与えられている生きる意味に気づくには、
「世界は、私に何を望んでいるのだろうか?」
「世界は、私が何をしたら、喜ぶだろうか?」
この質問に答えることで見えていきます。
おそらくこの質問の最適な答えとしては、
無理せず自分の能力や資質が十分に発揮できることです。
では、次項でさらに詳しく解説していきますね。
ただ生きるだけでいい
「世界は、私に何をすることを期待しているのだろうか?」
・世界が私に期待していること
・世界が私に望んでいること
それこそが、生きる意味なのです。
「えっ、世界が私に期待していること?そんなのわからないー(>_<;)」
そう思いました?
いや、思いますよねf^^;
でもそんな難しいことじゃないんです!!
ちょっと例え話をしますね。
パズルのピースの形は、皆一人ひとり既に決まっています。
そのパズルのピースの形を無理に変えようとしないこと。
向日葵は、向日葵として咲けばいい。
桜は、桜として咲けばいい。
ひまわりが桜になろうとしなくていい。
向日葵には向日葵の良さがある。
それと同じで、
あなたはあなたをすればいい。
わたしはわたしをすればいい。
(日本語がおかしいですが。。。私が私らしく生きればいい。ということです)
・リーダーシップを取るのが得意な人は、リーダーシップを取ればいい。
・個人プレーが好きな人は、個人プレーをすればいい。
・まじめな人は、まじめに生きればいい。
・明るく陽気な人は、明るく陽気に生きればいい。
・話をするのが好きな人は、話をしたらいい。
・黙々とするのが好きな人は、黙々とすればいい。
・アーティスティックで創造するのが好きな人は、自由な発想でクリエイティブなことをすればいい。
・笑顔が素敵な人は、笑顔を活かせばいい。
・声が素敵な人は、その声で話すだけでいい。
・優しさや包容力が滲み出ている人は、普通にしてるだけでいい。
そうやって、
自分というパズルのピースの形を変えずに、そのまま生きること。
世界はそれを期待しているのではないでしょうか。
なぜなら、あなたがそのままの自分で生きることで、周囲に良い影響を与えるからです。
・あなたは普通に話しているだけなのに、心が癒される人がいる。
・あなたは普通に話しているだけなのに、元気になる人がいる。
・あなたは普通に話しているだけなのに、新しいアイデアのキッカケを掴む人がいる。
あなたは普通に、ただ生きていればいい。
- 花は咲くだけでいい。
- 人間は生きるだけでいい。
自分らしく生きるだけ!
それこそが生きる意味なのかもしれない。
やっぱりただ生きるだけじゃなくて、幸せに生きたいです!
もしかして、あなたも同じことを思われましたか?
では、
「ただ生きるだけでなく、幸せに生きるにはどうするか?」
これについて解説していきますね。
楽しく幸せな人生を送るには!?
- もっと充実したい
- 楽しく過ごしたい
- ワクワクしたい
- 何かに熱中したい
- 情熱を感じたい
- 前向きになりたい
このように幸せで前向きな気持ちで生きたいと望む人も多いでしょう。
誰だって苦しい思いはしたくないので、当然と言えば当然ですね。
- イライラ
- 悲しみ
- 寂しさ
- 恐怖
そういったネガティブな気持ちは苦痛ですから、前向きな気持ちになりたいのも当然です。
だから一般的には
楽しく過ごしたい
→だから楽しいことを探す
こういう流れだと思うのです。
ところが、ここでの落とし穴は、
「楽しい時間は一時的」
もしくは、
「楽しいことが見つからない」
ということです。
私たちがどんなに辛いことをから逃げて、楽しいことをしようとも、常にずーっと楽しい訳ではない。
- 人間関係の悩み
- 仕事の悩み
- 健康の悩み
- お金の悩み
悩みは尽きません。
「ただ生きるだけでいい!とは言え、やっぱり悩みはあるし。楽しく生きたいけど、それが出来ない」
という方は、引き続き、次項を読んでください。
流される人生のススメ
楽しいことが見つからないなら、頑張って楽しいことを見つけようとしなくていい。
頑張って情熱を注げるようなことを探そうとしなくていい。
ただそれよりも、もっと大事なことは、
自分の直感を大事にすること。
「何となく、それをやってみたい」
「何となく、こっちの方向に導かれているような気がする」
「何となく、この人生でこれをしたほうがいいような気がする」
「何となく、この人生でこれをすることを期待されているような気がする」
そういう、「何となく」という直感に従って生きるのです。
流される生き方、導かれる人生を生きる!
といったニュアンスです。
<例え話をするとこんな感じです>
大海原でどこに向かって進むかという場面で。
①自分で目的地を設定して、そこに向かって進む人。
②何となく海に流されて、流れのままに進んでいく人。
①前者のほうは、やりたいことを見つけて、それに向かって情熱や充実感を感じながら進んでいく人かもしれません。
一方、②後者のほうは、やりたいことがなく、何となく生きている人かもしれません。
多くの人が②のパターンではないでしょうか。
夢や目標を見つけて、楽しく生きたい。でもそれが出来なくて何となく生きているという人です。
どうせ何となく生きるなら、、、
「きっと世界は、私にコレをすることを望んでいるだろう」
「私は何をしたら、世界は喜ぶだろうか?」
そんな視点で何かに導かれるような生き方こそ、世界があなたに求めていることかもしれません。
そして、それこそが「生きる意味」と言ってもいいかもしれません。
生きる意味は不要。究極の至福な生き方
生きる意味は何か?
どのように生きるか?
ここまで書いたことを、
一旦まとめます。
【ここまでのまとめ】
生きる意味はない。
だから、花のように
ただ生きるだけでいい。
とはいえ、
ただ生きるだけではく
もっと楽しくいきたい。
でもそれが出来ない。
目標を持って情熱的に生きるより、
何かに導かれる人生を生きる。
それこそが生きる意味ではないか。
そもそも、楽しくエキサイティングな時間よりも、もっと至福の時間があるのです。
何それ?
はい、ではお伝えしますね。
それは、
↓ ↓ ↓ ↓
「無」の時間です。
ネガティブやポジティブな感情を超えた「無」の状態。
それこそが「至福」なのです。
頭の中は空っぽで、何も考えない、何も感じない。
「無」の状態
ランナーズハイの状態に近いかもしれません。
もしくは、瞑想状態に近いかもしれません。
僕の場合は、
・海に行って砂浜でボーっとしたり
・お気に入りのカフェでボーっとしたり
・家でヒーリングミュージックを聴きながらボーっとしたり
そういう時に「無」になります。
あるいは、
この記事を書いている今も、どちらかというとランナーズハイのように、手が勝手に動いている感覚に近いです。
僕が心理カウンセリングをしている時も、物凄く頑張っているというより、自然にカウンセリングをしているような感覚です。
(もちろん、どちらも多少は頭を使ったりしていますが)
こんな感じで、楽しいことを見つけようと頑張るよりも、
ただ無心で生きる!
それこそが最高に幸せな人生。
と言ってもいいのではないでしょうか。
まとめ
- 私が私らしく生きる。
- 与えられた役割を全うする。
- ただ無心で生きる。
それこそが、世界が私たちに望んでいることであり、生きる意味なのかもしれません。
この記事は僕の体験を大いに踏まえて書きました。
何も考えず、何も感じない、無の世界。
それこそが本当の至福。
そんな気がしています。
ぜひ頭を空っぽにして、何も考えない時間を作って、何もない感覚を味わってみてください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
何かご参考になることがありましたら幸いです。